天然モテオヤジのハミング日記

ある日の出来事、暦・記念日、話題、情報、雑感や生き方、ライフスタイル等をそこはかとなく綴っている自己啓発・開運ブログです。

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「真の青春とは若き"精神"のなかにこそある」。サミュエル・ウルマン原作、感動の詩 "Youth" 青春、新井満訳より

今日は4月1日、新学期、新年度という新しい「時」の始まりです。

 

学校や職場へ新しい気持ちで臨まれていることと思います。

 

そこでエールを送る意味で、幻の詩人とも言われている「サミュエル・ウルマン」が書いた感動の詩「青春の詩」の紹介をさせていただきます。

 

「青春の詩」"Youth" は、サミュエル・ウルマン が70代で書いた詩で、詩集 From the Summit of Years, Four Score に収められた作品のひとつです。

 

彼は1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人両親の長男として誕生。1924年3月21日84歳でこの世を去りました。

 

彼は晩年に数編の詩をつくっています。
この「青春の詩」は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の詩です。


"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)とするこの詩は、若い人たちには戒めとして、シニアの方には「人生の応援歌」として必ずや役立つものと思います。

 

アドレナリンが体中を駆け巡っているようで、なんだか力がみなぎってきますよね。

 

言い換えると「青春の詩」"Youth" は人生のビタミン剤といえるでしょう。

 

今日は2つの訳をお届けします。➀「青春  岡田 義夫 訳」漢詩調の翻訳 と②「青春とは  自由訳 新井満」です。


両者ともそれぞれ味わい深い名訳です。

 

サミュエル・ウルマン  Samuel  Ullman の詩「 Youth 青春」

 

➀青春  岡田 義夫 訳 

青春の詩

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 

要約 「青春とは、心の若さである」 


② 青春とは  自由訳 新井満


青春とは 真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく 若き 精神のなかにこそある
薔薇色のほほ 真っ赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい精神 ゆたかな想像力 燃え上がる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧き出る 泉のように
あなたの精神は 今日も新鮮だろうか いきいきしているだろうか
臆病な精神の中に 青春はない
大いなる愛のために発揮される 勇気と冒険心のなかにこそ
青春は ある
臆病な二十歳がいる すでにして 老人
勇気ある六十歳がいる 青春のまっただなか
歳を重ねただけでは 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老い
歳月は 皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき 精神は しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪
それらは 精神をしぼませ ごみくずに変えてしまう
誰にとっても大切なもの それは 感動する心
次は何が起こるだろうかと
眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に 挑戦する 喜び
さあ 眼をとじて 想いうかべてみよう
あなたの心のなかにある 無線基地
青空高くそびえ立つ たくさんの 光り輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう 偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ
世界がどんなに美しく 驚きにみちてるか
生きることが どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ほほえみを忘れず いのちのメッセージを受信しつづけるかぎり
あなたはいつまでも 青春
だが、もしあなたの 心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 氷のように頑固な失望に おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても あなたは立派な 老人
あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても あなたはつねに 青春
青春とは 真の 青春とは
若い 肉体のなかに あるのでなく 若き 精神のなかにこそ ある

 

 

青春とは

青春とは

 

 

 
要約:「真の青春とは若き精神のなかにこそある

 

YOUTH

   Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

   No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

   Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;

as young as your self-confidence, as old as your fear;

as young as your hope, as old as your despair.

   So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

  When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

 

※ 「青春の詩」"Youth" について

「青春の詩」の流布にはダグラス・マッカーサーが関わっている。マッカーサーは、1940年ころにジョン・W・ルイスからこの詩を贈られたという。

 

この詩を気に入ったマッカーサーは、マニラで、のちには東京でも、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け、また講演でもたびたび引用した。『リーダーズ・ダイジェスト米国版』1945年12月号は、"How to stay young" という記事において、マッカーサーの執務室にかけられているというこの詩を紹介した。

 

二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問した。天皇マッカーサー元帥と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。

 

この詩を、ある日、岡田義夫氏が発見し、感動し、漢詩調に翻訳した。

 

岡田義夫氏はデスクの前の壁に貼っていた。

 

それをたまたま訪ねてきた親友の森平三郎氏が写し取って帰った。

 

後年、森平三郎氏が郷里の桐生の新聞に「青春」を紹介すると読者の感動を呼び「青春」は静かなるブームとなりました。

 

とりわけ財界人は心を動かされた。

 

後に松下幸之助氏の目に止まり、あるインタービューでこの「青春の詩」を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。

 

ここにおいて「青春」はメジャーデビューとなったわけですね。

 

又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。

 

 

★サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年4月13日 - 1924年3月21日)は、アメリカの実業家・詩人・人道主義者。彼の名は詩 "Youth"(日本では「青春」あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。

 

生涯

1840年、ドイツ・ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン公国 (Hohenzollern-Hechingen) のヘヒンゲン(英語版)(現在はバーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政管区ツォレルンアルプ郡に属する町)において、ユダヤ人の両親のもと生まれる。ウルマンの一家は1851年にアメリカに移住し、ミシシッピ州ポートギブソン (Port Gibson, Mississippi) に定住した。

 

1861年南北戦争が勃発すると、ウルマンはアメリカ連合国陸軍(南軍)に兵士として従軍するが翌年に除隊]。1865年にミシシッピ州ナチェズに移り住んだ。

 

ウルマンはここで商売をはじめ、1867年にエマ・メイヤー (Emma Mayer) と結婚した。夫妻の間には8人の子が生まれ、6人が成長した。また、ウルマンは市会議員を務め、また地元の教育委員会の委員となった。

 

1884年、ウルマンの一家はアラバマ州バーミングハムに移住。自治体として設立されて間もないこの若い町で、ウルマンは金物の小売店をはじめ、続いて不動産業も兼営した。ナチェズで商業や教育に指導的な役割を果たしたことは知られており、1884年にはバーミングハム市教育委員会の委員に選出、1893年には委員長となった。

 

18年間の教育委員在任中、彼は黒人教育に関心を寄せ、黒人にも白人と同じ教育を行うことが教育的にもプラスになると主張した。このほか、病院の設立など、ウルマンは多くの地域社会活動に携わった。

 

市のユダヤ教改革派のエマヌエル教会において、信徒団の長を務め、1890年にはレイラビ(lay rabbi, 精神指導者、在俗のラビ)になっている。ナチェズやバーミンガムにおける宗教的・教育的・社会的活動は、しばしば議論を招いたものの、敬意を払われる足跡を残した。

 

ウルマンは引退後、多くの時間を趣味(手紙やエッセイや詩の執筆)に注いだ。彼の詩や詩的なエッセイは、愛、自然、信仰、あわただしいライフスタイルの友人、そして「若く」生きることといった、さまざまな題材を扱っている。1920年4月、80歳の誕生日を記念して、それまでに書き溜められた詩を集め From the Summit of Years, Four Score『80年の歳月の頂から』が家族の手によって自費出版される(出版年については1922年とも)。1924年アラバマ州バーミングハムにおいて死去。

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