天然モテオヤジのハミング日記

ある日の出来事、暦・記念日、話題、情報、雑感や生き方、ライフスタイル等をそこはかとなく綴っている自己啓発・開運ブログです。

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「友情は生きる喜びを与えてくれるもの」田辺聖子

4月18日 今日の一言 田辺聖子

 

私は恋を知るより早く、

 

友情の良さと有難味をぜひ知って欲しいと、思う。

 

それは心や頭を冷やし、

 

かく乱させる魅力とは違うけれども、

 

また尽きぬ楽しみ、

 

生きる喜びを

 

与えてくれるはずのものである。

 

iめぇ~るより

 

 

上機嫌な言葉366日

上機嫌な言葉366日

 

 

以上は 田辺聖子著 上機嫌な言葉366日 より一部抜粋

 

※友情は何事にも代えがたいものである。

 

★田辺 聖子 (たなべ せいこ、1928年3月27日 - )は、日本の小説家。
大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞など数多くの文学賞を授与されている。文化勲章受章者。


◆代表作
『感傷旅行』(1964年)
『姥ざかり』(1981年)
『ひねくれ一茶』(1993年)
『道頓堀の雨に別れて以来なり――川柳作家・岸本水府とその時代』(評伝、1998年)
◆主な受賞歴
大阪市文芸賞(1956年)
芥川龍之介賞(1964年)
女流文学賞(1987年)
吉川英治文学賞(1993年)
菊池寛賞(1994年)
紫綬褒章(1995年)
泉鏡花文学賞(1998年)
読売文学賞(1999年)
蓮如賞(2003年)
朝日賞(2007年)
文化勲章(2008年)
名誉市民
2009年 伊丹市名誉市民

◆デビュー作
『花狩』(1958年)
◆配偶者
川野純夫


略歴
1928年3月27日、大阪府大阪市に生まれる。父方は広島県福山市の出身で祖父の代から写真館を経営していた。大阪市内に生まれ、大阪の風俗文化に深く親しみながら育った事は後の作風に大きく影響を与えている。因みに北摂の新興都市については風俗文化が乏しいと評している。

 

幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読した。戦時中は愛国心にあふれた軍国少女としての時代を過ごし、戦争で死ぬことを本望としていた。

 

1943年『少女の友』の作文欄で川端康成の選により掲載された「さら」が最初の活字作品。敗戦後ではその反動と喪失感から複雑な思いを抱く中、古典文学の世界に癒しを見出した。大阪の金物問屋に就職で勤める傍ら文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』に参加、『花狩』がラジオドラマに採用され放送作家となった時期もある。

 

1956年『虹』で大阪市文芸賞受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。

 

1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出され、若手女流作家の寵児となる。以降は人気作家として多くの執筆依頼を受ける様になるが、純文学の賞である芥川賞の受賞者としての立場を枷に感じ、後年に「直木賞の方が欲しかった」と冗談含みで語っている。

 

1987年の第97回直木賞から2004年第132回まで直木賞の選考委員を務めた。

 

次第に大衆小説へと軸足を移し、より身近な設定における恋愛小説や社会風刺的なエッセイなどを精力的に執筆する。

また古典文学の流れから歴史小説にも活躍の場を広げ、同じ大阪出身の歴史小説家である司馬遼太郎とも親睦を結んでいる他、自身も江戸時代の俳諧師小林一茶の生涯を描いた『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞を受賞している。

小松左京筒井康隆ら関西SF作家たちとの交際も長く、『おせいさんの落語』は彼らも顔負けの奔放なイマジネーションを駆使した奇想小説集であり、連作短編集『お聖どん・アドベンチャー』の題は筒井のアイディアである。

1995年、紫綬褒章を受章する(67歳)。

2006年、エッセイなどをもとに朝の連続テレビ小説芋たこなんきん』(NHK大阪放送局制作)が作られた。

2009年には、著作をもとにした朗読劇「田辺聖子の世界」が公開され、3月30日と31日には銀座博品館劇場にて、同年の5月9日には兵庫県立芸術文化センターにて、いずれも萬田久子主演で上演された。

長年の執筆活動を称えて2000年に文化功労者、2008年に文化勲章を授与された。

 

人物
私生活では長年独身であったが、文学仲間の川野彰子への追悼文を寄せたことが縁でその夫で神戸で医師をしていた川野純夫と知り合う。1966年に後妻として川野と結婚し、2002年に死別するまで36年間連れ添った。


田辺のエッセイに登場し親しまれた「カモカのおっちゃん」とは、夫の川野のことである。

 

1976年に伊丹市へ引越し、1995年には阪神・淡路大震災を経験。後に震災時の経験をまとめた著書『ナンギやけれど…わたしの震災記』を発表する。

 

伊丹市からは後に名誉市民を授与され、伊丹市立図書館新本館の名誉館長に就任している。


無類のスヌーピーグッズ愛好家。

 

自身年来の宝塚歌劇ファンでもあり、自著『隼別王子の叛乱』『新源氏物語』『舞え舞え蝸牛 新・落窪物語』などの作品が宝塚で舞台化された実績もある。

 

必殺シリーズ」のファンとしても有名で、劇場版パンフレットにエッセイを寄せたり、『必殺仕事人III』においてはその方向性に苦言を呈し、それを聞いたプロデューサーが番組内容を修正することがあった。

 

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