「ありがとう」と感謝して生きる。
ある日、バスに乗って終着駅につき降りようとした時、小学生の女の子が運転手に「ありがとうございました」というのである。
私は唯物論者なので運転者は安全に定時にお客様を目的地まで運ぶのが仕事・義務であり、客はその対価として料金を支払う。
プラスマイナスゼロなのである。
もっと突き詰めて言うと代金の中には利益も含まれているので客は運転手に「ありがとうございます」と言われてもいいが、客が「ありがとうございます。」というのは必要ないことである。
ではなぜ小学生の女の子は運転手に「ありがとうございました」というのであろうか?
ここで少し天然モテオヤジは考えてみた。ロダンタ~イム!(考える人)
はたして、人は自分だけで生きていけるのだろうか?
いいやそうではない。
自分以外の人や物のおかげで「生かされている」のである。
生命を維持するために、ご飯を食べる。
稲という貴い命をいただく。稲を育てている人がいる。白米にする人や運ぶ人がいる。いろんな人の手を経て安全に、自分の口まで運ばれているのである。そうやって命が維持されているのである。
有難いことではなかろうか。
有難いから「ありがとう」なのである。
生かされていると感じるから感謝するのである。
そもそも自分が今ここに無事に存在すること自体が奇跡なのである。自己は先祖代々遺伝子を天文学的・奇跡的確率において受け継ぎ存在する生命なのである。
両親よ、よくぞ私を生んでくれましたね。と感謝すべきである。
(私は自分の誕生日にだけ感謝感激雨嵐です。)
この世に生を受けているものはすべて感謝すべきである。
そして地球は自分の為にだけ回っているのではなく、他の人の為にも等しく回っているのである。
地球は宇宙船地球号なのである。
先の小学生の女の子は分かっていたのである。自分が生かされていることを。先生や両親に人から何かをしてもらったら必ず「ありがとう」といいなさいと言われているだけなのかもしれない。
しかし、言葉に出せることは素晴らしい。
日本人は大体において「どうも」で済ませてしまう。「ありがとう」と言えない国民なのである。
外人は必ず「39~サンキュー」である。私も外国の知り合いがいるのでいつも言われる。気持ちのいいことである。
五日市剛工学博士は著書のなかで「ツキを呼ぶ魔法の言葉」として、「ありがとう」「感謝します」「ツイている」を上げていらっしゃる。(著書多数あり)
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特に「ありがとう」は嫌なことがあった時にも使うことを提唱されている。
又最も成功された実業家の一人である斎藤一人(さいとうひとり)さんは最強の天国言葉として「ありがとう」を上げて何度も、「ありがとう」という天国言葉を使うことを奨励されている。(「地球が天国になる話」、その他著書多数あり。)
《因みに天国言葉とは「ツイてる、嬉しい、楽しい、感謝しています、幸せ、ありがとう、許します」の7つ》
その他大勢の人が感謝して「ありがとう」を言いましょうと言っているのである。
「ありがとう」という言葉は感謝言葉としてだけでなく、開運言葉としても頻繁に使ったほうがよさそうである。
「ありがとう」を毎日言っていると幸運が訪れるといわれています。
〔そうなのか、よ~し! きめた~っと!〕
私は東日本大震災の被災者のひとりでである。
その時には世界中の人から有難い支援を受けた。私は人様を助けてあげることはあっても助けられるとは夢にも思わなかったのである。
震災時には約1か月間、電気、水道、ガスがストップした。その時に、誰に頼まれたわけでもなく、遠く九州や関西地方からボランティアでわざわざ来てくれたのである。
ある給水車で駆けつけてくれた人は神戸ナンバーであった。
私は水をもらう時「ありがとうございます。」といったが、「お礼はいりません。私も震災時に宮城のひとにずいぶん助けてもらいましたから」というのである。
また、食べ物にに困っていた時には、小学生の作った芋煮・いもに(全国的にはトン汁)をごちそうになったりもした。
いまだにあの子たちの笑顔とあの芋煮の味は忘れられません。
ウルウルである。
それ以来「奉仕に明けて奉仕に暮れる」、「一日一善」と「恩送り」、をモットーに
日々「清く、正しく、美しく」、すみれの花咲く頃♪~とタカラジェンヌのように生きております。
かくして2011年3月11日は私の「精神革命記念日」となったのである。
振り返ってみると先の小学生の女の子はすべてわかっていたのであろう。
分かっていなかったのはこの「天然オヤジ」だけだったのである。
いい歳こいて、恥ずかしい~。
小学生の女の子様教えてくれて「ありがとう」である。